私と峯田と青い春、について。
お疲れ様です、ゆとりです。
お久しぶりです。学校の課題・体調不良等々でかなり更新が滞ってしまいました。
書きたいことはたくさんあるのだけど。
さて、covers、スッキリ、LoveMusicと怒涛の銀杏Boyz地上波出演ウィークがあったわけだけども、総じて言えることは「峯田が好き」だ。
まずcoversで、愛燦燦をカバーしている峯田をたまたま父親が観ていたのだが、後日峯田が歌うライフルのCMが流れたとき、「あれ?これこの前の愛燦燦の人の声?」と言ったことに驚いた。
スッキリは学校だったのでリアルタイムで観れていなかったのだが、録画したものを帰って来てからみた。
「この世の中に、この世の中にある、悲しい事件や争い事や戦争が無くなってほしいと僕は本気で祈っています。本気で祈っています。ラブソングには、恋の歌には、その力があると僕は思っています。日本の皆さん、おはようございます!」
曲の中盤で峯田は叫んだ。
スッキリという朝の情報番組で彼が言いたかったこと。彼が音楽を通して、一貫して伝えたいこと。願い。
こういうことを許してくれるスッキリという番組、そしてなによりMC加藤浩次の存在の安心感(生放送で銀杏Boyzがなにかやらかしてもなんとかしてくれそうだな、と勝手に思っていた 笑)。
曲の終わり、森アナウンサーの涙が全てのファンの心情を物語っていたように思う。
そして、LoveMusic
このLoveMusicを観ていたとき私は母に「なに?この人好きなの?」と聞かれた。
私は高校生の時からずっと峯田が好きだったが、唯一このことだけは他言したことがなかった。
峯田の切り抜きを生徒手帳に挟んでいたけど、誰にも知られたくなかった。
(高校時代のお話は少し前記事で書いています。22歳女子大生が過去の自分に言う。 - ゆとりある生活をこの手に)
音楽には、いろいろな種類があってそれぞれの役割がある、と私は思っている。
そのなかでも、日向の音楽と日陰の音楽というのは確かに存在すると思う、いや、むしろするべきだ。
売れるということはつまりそれだけ多くの人が知っているし共感を覚える人も増えるということ。
私もこの音楽をいいなと思うし、もしかしたら隣の知らない人もこの音楽をいいなと思っているかもしれない。
分母が増えれば必然的に分子も増える可能性がより多くなるということだし、分子が増えるということがその音楽を日向たらしめる要素になる。
高校生のとき銀杏Boyzをこっそり聴いていた私は、決して明るい人間ではなかった。そんな私を救ってくれた音楽を、クラスのボスみたいな子が「いいよね〜」なんて言い出した日にゃもう私はどうすればいいんだ!
べつに、好きじゃいけない、というけではなくて、それをあえていう必要がない、ということだ。
内に秘めてこそ輝く、ということもあるのではないかということだ。
この細かいニュアンスの違いが上手く伝わるか…
銀杏Boyzはずっとわたしの中でそんな存在だった。だからあえて他言しなかったし、するべきではないと思っていた。
一連のブーム(?)で銀杏Boyzが地上波のテレビに出演することを、よく思わないキッズたちが多くいるだろうと思う。
そんな感情すんばらしいな!
でもそんなことで銀杏Boyzを手放すのは惜しくないか?悔しくないか?
なんなら君達の代表として想いを訴え、ぶつけてくれているのだから!
銀杏Boyzは決して君達を見捨てはしないし、裏切ることもしないだろう。峯田和伸とはそういう男なはずじゃないか。
coversで峯田は、もし自分の子供ができたら、って話をしていて、びっくりしたけど、それでもやっぱり彼は彼らしくこれからも音楽をつくっていくのだと思う。
今の銀杏Boyzも昔の銀杏Boyzもどちらのことも知ってほしいしあわよくば愛してほしい。
音楽は変わるものだけど峯田の根底にある想いは、駆け抜けて性春 のときからなんも変わってない。
音楽以外の場面でも彼の魅力に取り憑かれる人が多くいることを今は願っている。
yutori.