ゆとりある生活をこの手に

好きなものを好きというだけ

『新・俺よ届け』によって示された道について。

お疲れ様です、ゆとりです。

 

 

2017年9月20日、忘れらんねえよ僕にできることはないかな』リリースおめでとうございます。

 

高校生の頃、忘れらんねえよをはじめて聴いた。少ない友人に頼んでsexジャンプ写真を撮った。それをVo.柴田にリプライで送った。

 

いつも思っていた、「忘れらんねえよわたしのことどっかでみてる?心情歌いすぎじゃね?」

 

そのどれもに共感し、この人はわたしなのかと思い続けていたし、そう感じていた人は少なくないはずだ、いや、少なくないと思いたい、お願いたくさんいて。

 

 

忘れらんねえよは執念深く、彼女のことを歌い続けた。叶わなかったからこそいまも続く彼女への想い、溢れ続ける感情。

 

 

恥ずかしながらわたしも、気づけばもうすぐ10年、同じ人を想い続けている。

もちろん、その10年間になにもなかったわけではないが、その人を超えるほどのものはない。それはおそらく叶うことがなかったから。

 

わたしはその人のことになるとまったく別人のように気持ち悪くなれるし、むしろそっちの方が本当の自分なのかもしれないが、とにかくそれが愛なのだ、と思い聞かせてこれまでやり過ごしてきた。

 

そんなとき忘れらんねえよはいつも、わかるぜ、その気持ち。と言わんばかりにドヤ顔をしてくるので(どや顔はしてない)、やだやだ気持ち悪い、わたしはあなたとは違うんだからね、と耳だけ傾けながら顔を背けてきた。

 

 

『眠れぬ夜は君の名をググるよ』

『犬になりたい』

『俺よ届け』

この3曲は特に辛いものがある。

 

 

 

 

NewALに収録されている『新・俺よ届け』

 

『俺よ届け』の頃の“俺”は、彼女に未練タラタラでずっと好きだから、変わらないからと半ばすがるような感情のダダ漏れだった。かっこ悪い格好良さがあった。

 

ところが『新・俺よ届け』で“俺”は本当にかっこよくなっていた。

 

「君を好きな気持ちは変わらないから、その気持ちを抱えたまま俺は俺の道を進むけど、もし俺の夢が叶ったらそのときは笑ってくれないか。」

「俺の側でなくても君が笑ってくれているだけで頑張れる、俺、幸せなのかもしれない。」

 

 

え?

だれですか?

 

月9で報われない恋をしたイケメン俳優が言うセリフみたいじゃん…

忘れらんねえよもさすがに変わってしまったんだな…

 

 

 

 

とはならなかった。

 

忘れらんねえよはかっこよくなったわけではない。

忘れらんねえよはかっこ悪いまま、それでも前に進むという道を示した。

 

こんな、わたしみたいなどうしようもない人間のなかにある、このままじゃだめだという感情と、それでもかっこよくはなれない、なってたまるかという意地のような感情による混沌のなかで、忘れらんねえよは一筋の光であり続けることを選んでくれたように思えた。

 

 

彼らは我々を見捨てなかったし、むしろ向かうべき方向を指差してくれた。

 

 

現状を打破したい、でももはやどうすればいいかわからない、そんな人たちすべてに聴いてほしい。

 

わたしのこの拙い文章が、どれだけこの曲の良さを伝えられたかは分からないが、1人でも多くの人の耳に入ってほしいと思い、いま衝動的にこの文章を書いた。

 

 

 

忘れらんねえよの歴史にまた新たな一歩が確実に刻まれたであろうこの曲を是非、聴いてみてほしい。

 

 

 

 

yutori.