生きててよかったとは到底思えぬ夜との対峙について。
お疲れ様です、ゆとりです。
以前別の場所で少しブログを書いていたことがありまして、少しずつ転載していきたいと思っております。
今日の記事も以前そちらで公開していたものに加筆したものです。
フラワーカンパニーズの『深夜高速』
言わずと知れた名曲だが、聴いたことはあるだろうか。
この曲は、「生きててよかった」
という喜びの歌ではなく、
「生きててよかったとは到底思えぬ」人間の、ただそれだけの歌
と語ったのは曽我部恵一。
人は、“生”と“死の狭間”を行ったり来たりしながら生きている、とわたしは思う。
「生きててよかったとは到底思えぬ」夜と、「生きててよかったと喜べる」夜の繰り返し。
若い頃は辛いことがあると、あぁもう無理かもしれない生きていくことがつらい、となっていたのだが最近は専ら、ここまでよく生きてきた生きててよかったこの幸せのなかで死にたい、とその“死の狭間”の訪れが変化してきた。
“死の狭間”の訪れの変化とは全く関係なくやってくるのは「生きててよかったとは到底思えぬ」夜なのである。
きっとわたしは生涯この夜と対峙していかなければならないのだろう。
そんな夜にわたしのそばにあるのが『深夜高速』である。
この「生きててよかったとは到底思えぬ」人間のただそれだけの歌が、人に「生きててよかった」と思わせる歌、とはこれいかに。
歌詞は重苦しく、決して前向きとは言えない。
それでも、前を向いてただ進むしかない、と食いしばって生きていく姿を彷彿とさせる力強い歌声によって生み出された生命力が、この歌をこの歌たらしめている。
yutori.